朝日座の歴史


photo by Wataru Umehara

 

~大正12年、「旭座」として開館~

福島県原町の地元有志(旦那衆12人)によって、1923年(大正12年)7月2日に芝居小屋・映画常設館として「旭座」が開館しました。1923年といえば、関東大震災が発生した年。その2カ月前に、朝日座の歴史は始まりました。日本ではまだ、ラジオ放送すら始まっていない時代のことです。

開館当初の観客席は升席で、舞台に花道もありました。また開館時には、坂東勝三郎、中村翫十郎の大一座による「旭座舞台開き」が行われています。

この当時、毎日のように映画を写す「映画常設館」は最先端を行くものであり、地方回りの芝居が行われる中、数多くの無声映画が上映されました。たくさんの町民が心躍らせながら映画や芝居へと足を向け、旭座は大衆娯楽の殿堂として賑わったのです。

写真は、昭和に入ってから撮影された「朝日座」です。

写真奥に写る塔は、関東大震災の様子を世界中に発信した「原町無線塔」。この小さな町に、アメリカに無線発信する施設があったことにも驚かされます。(1982年、原町無線塔は老朽化に伴い、60余年の歴史に幕を閉じました)

 

 

~戦 後~

終戦が近づく頃、当時に原町高等女学校の教諭であった星 千枝さんは、回想の中でこう語っています。「ある先生が“今日は旭座の映画に連れていくぞ”などと言われて、生徒たちは大喜びしていました。あの当時ですから、そんなに面白い映画などなかった筈です。軍国主義的な映画だと思いますけれども、当時の映画は唯一の娯楽でしたから、せめて今夜だけ空襲警報が鳴らないようにと祈っていたのです」。

この話から、空襲警報が鳴った昭和20年にも、旭座が上映を続けていたことがわかります。その後、7月10日には仙台空襲。旭座のある原町からも、北の空が真っ赤に燃えるのが見えたそうです。そして終戦放送のあった8月15日から一週間、旭座をはじめ戦火を逃れた映画館は全国一斉に興行を中止しました。

 

戦後、映画は庶民の娯楽として人気を誇り、1952年(昭和27年)には旭座を「朝日座」と改名。布川氏(現・管理者)個人の経営になったのもこの時で、映画常設館として升席も椅子席に変わりました。

観客数も一時(昭和35~36年頃)は、市民一人あたり年間5.2回の入場を数えましたが、テレビ放映等の影響により昭和37年から減り始め、昭和38年には市民一人あたり年間3回と急落しました。

さらにその後、観客数はいったん横ばいに。しかしビデオデッキの普及やレンタルビデオショップなどが増加するにつれて、客足も年々遠のいていきました。

 

写真は、朝日座のネオン看板です。

路上に立つポールに設置されたネオン看板は、夜の上映を盛り上げる朝日座のもう一つの顔として、多くの来館者に親しまれていました。

 

 

 

~平成3年の閉館と、その後~

1991年(平成3年)5月には、朝日座開館70周年記念として「ニュー・シネマ・パラダイス」が上映されました。

しかしながら観客数の減少をとどめることはできず、同年9月「シザーハンズ」「ホーム・アローン」の上映を最後に、朝日座は惜しまれつつも閉館。映画常設館としての70年の歴史に、静かに幕を下ろしました。

閉館となった後も、他市の興行主によって年に数回のアニメ映画が上映されているほか、2008年(平成20年)には、南相馬市マナビィカレッジ事業・生涯学習振興事業「生涯学習まちづくり講座」の受講生有志により、朝日座の保存と利活用を考える市民活動団体「朝日座を楽しむ会」が発足。町の財産である朝日座の保存を通して、地域コミュニティの再生も目指しています。

 

 

~2011年3月11日~

平成23年3月11日、東日本大震災が発生しました。

朝日座では35mm映写機2台が転倒し、外壁のタイルが一部剥離。さらに4月の余震により蛍光灯の一部が破損しましたが、建物全体としては軽微な被害にとどまりました。

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その後、福島原発事故の影響により、「朝日座を楽しむ会」会員の多くが住む旧原町区の住人も避難を余儀なくされましたが、現在では少しずつ人々も戻り始めています。

震災から約3カ月を経た6月12日には、震災後初の復興無料上映会が開催され、約80人のお客様が朝日座へ。震災後の晴れない心に娯楽が明かりを灯しただけでなく、被災した住民同士の再会の場としても笑顔があふれました。

当日の様子を動画でご覧いただけます(朝日座を楽しむ会がDOMMUNE FUKUSHIMA出演時の告知も兼ねた映像です)http://vimeo.com/25964240

3月11日以降、多くの皆さまから被害状況のお問合せや励ましのお言葉をいただき、本当にありがとうございます。

 

 

~震災以降の朝日座・復興のシンボル~

震災以降の朝日座は、行政や企業、団体や個人の方々から沢山の支援を頂戴しながら
上映会だけでなく、復興に進む町のシンボルとして様々な機会に恵まれました。

2013年には「ぶんかな人しごとコンソーシアム」の製作でスタートしたプロジェクトが、
映画「ASAHIZA 人間は、どこへ行く」(監督・藤井光)として公開されました。南相馬市に生きる人々の朝日座を巡る記憶から、劇場の持つ社会的な意味と価値を見つめながら、失われてゆくこの町の物語を綴ったドキュメンタリー作品です。

2014年、建築関連のお仕事に関わる有志の方々のお力を借りて「国登録有形文化財(建築物」に朝日座が登録されたり、2021年にはこのサイトをキッカケに福島中央テレビ様の開局50周年記念のドラマ&映画「浜の朝日の嘘つきどもと」(監督・タナダユキ 主演・高畑充希)が朝日座を舞台に製作されました。

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朝日座以外にも南相馬市の様々なところが舞台として登場しております。

https://www.fct.co.jp/50th_drama/keyword.html

 

この映画の製作時はコロナ渦中で大変な時期でした。震災で止まっていた常磐線が全線復旧する記念イベントも中止になり暗いニュースばかりが多かった時期に、朝日座を舞台にした娯楽作品を製作するという知らせは地元の方々にとって明るいニュースになったと思います。

 

 

~開館100周年~

沢山の困難を乗り越えて、朝日座は2023年7月2日に開館100周年を迎える事が出来ました。

asahizaPhoto:Maki Onodera 

 

今後とも朝日座に皆様の温かいご支援とご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

これまで来館していただいたすべての皆様と、これから来館していただくすべての皆様のために、朝日座をいかに保存し、継承していくかを考えていきたいと思います。

 

引用・参考・文献・写真: 「朝日座全記録」著者・二上英朗 布川雄幸(2003年製作)
この記録が無かったら私達は朝日座の歴史のページを制作する事は出来ませんでした。
二上さん、布川さん本当にありがとうございます。

震災直後の大変な時期に上映から、映写機の修理まで
朝日座の歴史を支えて頂いた鈴木映画さまには心より感謝申し上げます。

2018年、朝日座の隣で約59年間営業されてきたあさひ食堂さんが 閉店されました。
震災以降も原発事故に負ける事なく営業を再開され、朝日座へ来場されたお客様や関係者のお腹を満たしてくれました。心より感謝申し上げます。